前回『お酒を出さない大人のバー』にて、海外のスピリッツフリーバー事情をどちらかというとビジネス的な側面から紹介した。
今回は、より歴史的な側面からアルコールフリーのバーを見ていきたい。
アルコールフリー、ノンアルコール、スピリッツフリーといったお酒を出さないバーの起源はどこにあるのだろう。
禁酒運動が生んだテンペランスバー
さかのぼることおよそ一世紀、お酒を出さないバーの原型は19世紀の禁酒運動のさなか生まれたテンペランスバーに見ることができる。*Temperance(テンペランス):節酒
禁酒と聞くとアメリカを想起するかもしれないが、テンペランスバーはイギリス発の概念である。
禁酒運動のさなか、テンペランスソサイエティという組織が、本来は適度な飲酒を目的として立ち上げたものであり、次第に節酒から禁酒という様相を呈していく。
テンペランスバー自体は、ノンアルコールを楽しむというよりは、アルコールを控えるという消極的な成り立ちである。
今日のような試行錯誤を凝らしたテイストというよりは今日まで続くソフトドリンクメーカーの素地を作っていたりする。
有名なところだと、ランカシャー州のFitzpatrick'sなどは1890年にテンペランスバーを創業し、2016年にリニューアルしたのち、英国最古のテンペランスバーを自称している。
ノンアルコール宮殿、コーヒーパレス
コーヒーパレスの出自もテンペランスバーと同じく、禁酒運動中のイギリスであるが、こちらは赤道の向こう側、オーストラリアでも1870年代後半に広まった。
では、コーヒーパレスの起源はというと、17,18世紀に人気になったコーヒーハウスにまでさかのぼることができる。
コーヒーハウス自体は18世紀後半にはつぶれてしまったが、その当時最新のコーヒーを紹介したりしていたタヴァーン(洋式居酒屋)のような形態をとり、その名前は禁酒運動の加熱していくイギリスで広まっていった。
イギリスの禁酒運動は1830年代に加熱し、大きく広がっていく。
その中で、上述のテンペランスバーをはじめ、テンペランスタヴァーン、テンペランスホテル、コーヒータヴァーン、コーヒールームなど様々な呼ばれ方をしたバーが乱立していった。
1870年代から80年代にいくつかのテンペランスホテルが生まれ、次第にコーヒーパレスという呼ばれるようになっていった。
オーストラリアで禁酒運動が発展していったのは、イギリスとほぼ同時期とみていい。
1837年にオーストラリア節酒協会が創設されると、それに続いて様々な組織が発足した。
禁酒の気運の高まりとともに、オーストラリアにもテンペランスホテルなどが立ち並ぶようになる。しかし、オーストラリアとイギリスには一つ大きな違いが存在した。
禁酒/節酒という大義の下、補助金などで公共事業的に進めたイギリスに対して、オーストラリアではビジネスとしてそのような事業がすすめられたということである。
ちょうど、経済発展の時期でもあったオーストラリアは、禁酒というモラルを盾にテンペランスホテルを建築していき、中でも大規模で手の込んだテンペランスホテルはコーヒーパレスと呼ばれるようになっていった。
コーヒーパレスやテンペランスホテルは、19世紀末に経済不況が訪れると、事業形態をあらためアルコールも販売せざるを得なくなり、次第にその数を減らしていった。
現代のスピリッツフリーバー
では、昨今取りざたされるスピリッツフリーバーはどのようなものなのだろうか。
*ちなみに、スピリッツフリーバーという名称は、特に現代のノンアルコールバーを総称ではないが、便宜上ここではそう表現する。
スピリッツフリーバーはだいたい2010年代に入ってから出てきている。
イギリスだと、アルコール中毒、ドラッグ中毒者の支援組織Action on Addictionが運営するリヴァプールのThe BRINKというバーが先駆けであり、その後に"sober and cruelty-free"(アルコールと食肉フリー)を掲げるRedemption が続く。
イギリスのスピリッツフリーバーは、アルコール/ドラッグ中毒者支援やヴィーガン向けメニューだったり、どこか啓蒙的なテンペランスバーの名残りのようなものを感じる。
一方、アメリカのスピリッツフリーバーは、テンペランスバーと比べると、お酒を出さないという基本方針は同じではあるが、在り方は全く異なるといっていいかもしれない。
アメリカのスピリッツフリーバーの草分け的存在のLISTEN BAR は、その名の通り音楽を売りにして、バーテンダーは皆音楽にも深く精通している。
簡単に総括するのであれば、
19世紀のテンペランスバーやコーヒーパレスというのは、禁酒という大義名分を厳格に遂行するための、いわば舞台装置であった。
その点、アメリカのスピリッツフリーバーというのは、飲酒が強い社会性を持つに至った今日において、飲まなくても楽しんでよいという寛容を体現した場である。
そして、これは現代と19世紀の対比ともいえるが、ハコモノに注力した19世紀に対して、現代はそこで提供されるモノに注力しているという見方が可能である。
海外でもそれぞれにあり方の異なるノンアルコールバーではあるが、日本に最も適したノンアルコールバーというのはいかなるものなのだろう。。
▶関連記事を読む
『一歩目のモクテル』 https://bit.ly/2GlnxHy
『お酒を出さない大人のバー』 https://bit.ly/2ZnQsCD
参照サイト
"Listen Bar: A Booze-Free Bar in NYC" iFundWomen
The BRINK
Redemption Bar
Listen Bar
https://www.listen.bar/ "Owner of Britain’s last Temperance Bar who extolled virtues of abstinence to TV chefs is banned from driving... for being drunk" Daily Mail Online
"1878 Coffee Palace Hotel Company formed" Australian food history timeline
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